内気な性格が明るくなる
かつてメルマガサイト「まぐまぐ」にてメールマガジンとして
連載していた内容です。今は廃刊しました。
そのバックナンバーを掲載しています。

理論メルマガ 内気な性格が明るくなる
第一章 無責任な人たち
第二章 勇気を出せば治るのか
第三章 「ずっと内気だった」のウソ
第四章 「内気な人は甘えている」のウソ
第五章 「内気は治らない」のウソ
第六章 内気とはトラウマだ
第七章 内気とは練習不足だ
第八章 内気とは「慣性」だ
第九章 人間の歯車が狂うとき

実践メルマガ あなたも人と話すのが楽しくなる
no.1 いま自分にできることに集中する
no.2新しいことに挑戦する
no.3無敵の強さを
no.4楽しみながら学ぼう
no.5自信をつける方法1 日記
no.6自信をつける方法2 自分との約束
no.7自己中心的に生きろ


第一章 無責任な人たち
・もっと積極的になれ!
2000年10月4日、僕が中学校三年生のとき。
休み時間、担任の先生に呼び出された。

いくつかの注意をされたあと、こう言われた。
「お前は今日の文化祭の係分担のとき、何をしていたか?
誰かに話しかけられるのを待ってなかったか?
もし田中(仮名、クラスメイト)がお前に声をかけなかったら
いったいどうなってた?
もっと積極的になれ。
自分からもっと話しかけろ」

僕は言い返す言葉もなく、ただ「はい」と返事をするしかなかった。

そしてそのあと、何が変わったか。
注意されてからしばらくは「よし、がんばろう」という
気持ちに変わった。
文化祭の仕事も積極的に取り組む。
長い文章を書く役を引き受けたり掲示物を進んで貼ったりした。

でも自分の中の根本的な部分は、まったく変わらなかった。
文化祭が終わるといつもの自分に戻る。

この僕のように「もっとがんばれ」というようなことを
言われた人って多いんじゃないのかな。

・周囲からのプレッシャー
僕と同じような経験をした人は、たくさんいるみたいだ。
このHPを読んで
「同じ経験をした人がいると知って安心しました」
「共感できる部分がすごく多かったです」
などと言ってくれる人が、たくさんいるから。

また、ここまで厳しく言われなくても、親、友達などに
「勇気を出して!」「がんばれ!」と
励まされ、背中を押された経験。
みんなあるんじゃないかな。

でもはっきり言おう。
そういったものは、効果がないよ。
なぜなら、「内気になった原因」という視点が抜けているから。

穴の開いた船から水をくみ出しても、すぐに元に戻る。
結局「その場しのぎ」でしかないんだ。
効果が出ても、一時的。すぐ元に戻る。

そしてこれは心理学でも証明されている。
「マイナスの力」(叱る、罰を与える)というのは
すぐに効果が出る反面、長続きしない。
さらにその力の源(親、先生など)がなくなると元に戻る。

この法則は「負の強化」という名前で知られている。

親が子供を本当に変えるためには
「プラスの力」(ほめる、認める)でなくてはいけないんだ。
最初は効果が出ないが長続きする。
そしていつまでも残る。
本当にその人のためになる。
こっちは「正の強化」と呼ばれる。

あなたは内気な性格について。
だれかにほめられたことはあった?
「良く話しかけられたね。えらいよ」と。
そしてそれを継続してくれた?
長い期間ほめてくれたかな?

僕はそうではなかった。
一度だけほめられても、そのあとは何もない。
だからすぐ元に戻った。

・故障したテレビ
いつも使っていたテレビが突然、動かなくなった。
そんな時、どうする?
普通だとだいたいこんな選択肢があると思う。

・たたいてみる、いじってみる
・時間を置いてみる
・あきらめる。捨てる
・修理に出す、メーカーに相談する

ではそのテレビがとても大切なものであるとしたら、
何を選ぶ?
「修理に出す 相談する」をえらぶよね。
多少自分で努力するにしても。

ところが「内気な性格」という場合、これを選ばない人が
とても多い。

自分の子供に友達がいない。自分から作ろうとしない
いつもさびしそうにしている。
これは「テレビの故障」と同じだよね。
ほかの子供ができるのにその子だけできないんだから。

そんなとき先生や両親は、こんな解決策をとる。
・軽くテレビをたたく
=「勇気をだして話しかけてごらんよ」などと優しく励ます。

・思いっきり強くぶん殴る
=大声で怒鳴り、叱る。力ずくで変えようとする。

・自分で修理しようとする
=同じクラスの子供に根回しして、仲間に入れてもらおうとする。

・ほうっておく
=「そのうち何とかなるだろう」と何もしない

・あきらめる
=「この子はそういう性格なんだ」と見捨てる

ここに
・修理に出す 相談する
=専門家に尋ねる 他人に相談して積極的に解決しようとする
という選択肢が入ることはまずない。

ただ「もっと積極的になりなさい!」という言葉を連呼するだけで
何の具体的な対策をも示そうとしない。
それで治るだろうか?
NO。治らないことがほとんど。
なぜなら、本人でさえ自分の「故障」の治し方が分からないのだから。

そしてそれでも治らないテレビに向かって
治るはずがないと分かっているのに
テレビを叩き続ける。
治らないと知っているのに。

何か日常生活で問題が起きるたびに
「あんたのその性格のせいよ!何とかしなさい!」と
自分の欲求不満をぶつけるだけ。
少なくとも僕の母は、そうだった。
僕は何も言い返すことはできない。
また、具体的な解決策を見つけることもできない。
その中で、強大なストレスを抱え続けた。

・自分が簡単だから
でも彼らがそんなことをするのは理由がある。
それは「勘違い」。

あなたの周りにいる、普通に話ができる人たち。
彼らにとっては、話をすることは簡単だ。
そして僕たちに対しても同じように「話すのは簡単だ」と思っている。
だからそんな「簡単なこと」さえできない
僕たちを叱り、責めたりするんだよ。

でも、それは間違いだ。
僕たちが悪いわけじゃない。
内気を克服した、「話せない人たち」と「話せる人たち」の
両方の世界を経験した僕の立場から言わせてもらう。

内気な人には、「恐怖」というものがある。
「内気な人」というのは、普通の人より
何倍、いや何十倍もの恐れを感じている。
つまり、「勇気を出せ」という言葉の重み。
これが何倍も何十倍も違うんだ。

「階段の一段目から下に飛び降りろ!」と親たちは言っているつもり。
でも僕たちは
「2階の窓から下へ飛び降りろ!」
と言われているんだ。

第二章 勇気を出せば治るのか
・治った人もいる
「勇気を出せ」という周囲の言葉。
第一章ではそれの効果がないと言ってきた。

ここでふと疑問を持った人もいると思う。
「勇気を出して内気を克服した人はいないの?」と。

結論から言おう。
それで克服できた人も確かに存在するよ。

「性格は変わる、変えられる」という本に
よい例があるので、引用してみる。

<ケース1 スダ君の変身>
スダ君は小柄で痩せた人で、大学生時代はクラスでも
全く目立たない男の子でした。コンパなどでも部屋の隅のほうに
おとなしくしていて、自分から人に話しかけたりすることは
ほとんどありませんでした。特に異性と話したりするのは
苦手だったようです。

時折誰かに話しかけられたり、自分のことが話題になったりすると
ちょっとはにかみがちにニコニコしている、という感じで、
時にはコンパが終わって会話をするときになって
「あ、スダ君今日来ていたんだ」なんて初めて気づかれる
ことさえありました。他の場面でもおとなしく、消極的な
ことが多く、他の先頭にたって何かする、というタイプ
では全くなかったのです。

卒業して2年ほどしてから、初めてのクラス会がありました。
それぞれが就職したり進学したりしてちょっと成長した姿で
集まってきました。男性はスーツ姿が目立ち、女性も学生時代
とは違った大人っぽい服装がほとんどです。
「お前、変わらないなあ」とか「あの子、ずいぶんキレイに
なったんじゃない」などと語り合っているうちに
盛り上がってきて、今の仕事や生活について順番に話をしよう、
ということになりました。
「じゃあ司会は誰がいいかなあ」とみんながお互いの顔を
見合わせます。

そのときぱっと立ち上がって「それではワタクシ、司会を
務めさせていただきます!」と叫んだのが誰であろう、
スダ君だったのでみんなびっくり。
しかし驚いているヒマも与えず、スダ君はテキパキと
司会をこなして全員に話をさせただけでなく、人の話に
いいタイミングでコメントを入れたりして、たいそう座を
盛り上げたのです。

食事なども一段落して、さて二次会はどうしようかということに
なると、またもやスダ君が号令をかけます。「二次会のほうは
ワタクシが手配させていただきます!」と、みんなの希望を
聞いてから公衆電話に走り、あっという間に店を決めて帰って
くるや、「二次会会場にご案内しますので、みなさんワタクシに
ついてきてくださーい!」
これにはクラス会参加者全員が驚きました。当然二次会は
スダ君の「変身」の話題で持ちきりです。そして、本人の話を
聞いて、みんな感心させられます。

スダ君は大学卒業後、メガネの安売りチェーンに就職しました。
自分では店員になって販売するものとばかり思っていたのですが、
配属されたのは予想もしない営業職、それも販売拡大の最前線
でした。企業や商店に飛び込みで入って注文をとり、簡単な
検眼をしてあとでメガネを配達するというシステムです。

もともと口下手で、人付き合いも下手だったスダ君ですが、
そのままではとても仕事ができません。ノルマも厳しく、
上司や同僚からも叱咤される毎日で、眠れない日もありました。
そして、ある日スダ君は一念発起しました。

人に対する苦手意識を捨てて、積極的に他人と接していく
ことにしました。大きな声ではきはき話し、テレビや雑誌で
情報をどんどん仕入れて、お客さんとの雑談にもついていける
ようにしました。誰からも「明るい性格」「積極的な性格」
と見えるように、自分を作り変えたのです。

こんなことはそう簡単にできることではありません。
しかし、このままでは仕事についていけない、一人前になれない
という危機感が、彼に人並み以上の努力をさせたと
いえるでしょう。
最初はかなり無理をして性格を変えていたスダ君ですが、
しばらくすると新しい性格の効果が現れて、接客もうまく
いくようになり、営業の成績も上がってきました。それと同時に、
新しい性格が自然に身についてきて、積極的に人と接する
傾向が、仕事以外の面でも出てくるようになりました。

スダ君は今では努力して手に入れた新しい性格をとても
大切に思っています。人と積極的に接せるようになったことは、
自分の生活全体を豊かで、楽しいものにしてくれたからです。

「性格は変わる、変えられる」
多面性格と人格変容の心理学
渡邊芳之 佐藤達哉著 自由国民社
P12 15行目〜P15 13行目

僕も実際にそのように変身した人を知ってる。
高校の友達のM君。
とても明るくて元気がいい。サッカーも上手だった。
彼は中学校時代、内気だったと話してくれた。
彼は僕のことを「中学校時代の自分に似ている」と言って
「もっと積極的になってもだいじょうぶだよ」と
励ましてくれた。

でもこんな「変身」がだれにでもできるかというと、
そうでもない。
そのMくんの言葉はとても嬉しかったが、実際僕はそのあと
積極的にはなれなかった。

・僕もやってみた
僕がこの「性格は変わる、変えられる」に
出会ったのは、中三のとき。
人生で最初に出会った「内気・性格」に関する本だったため
「これだ!」と胸が震える思いをした。
「よし、高校からは勇気を出して、違う自分に変身しよう」
そのスダ君の例に自分を重ね合わせる。

そして高校入学。
僕は積極的になろうと努力した。
自分から見知らぬ人に話をしようとする。
積極的に新しい人に話しかける。
コンパなどにも出るようにする。
しかし、性格はあまり変わらなかった。

たしかに中学校時代に比べて一歩分積極的になれた
というのは感じる。
それでも、僕が一番やりたかったこと。
自分から友達を作る。
積極的に話をして楽しむ。
そういったことは、何もできなかった。
どんなに努力しても怖くて、体が動かない。 

意識しただけですぐに自分が変わるほど甘くはない。
それが僕の努力の結論だった。

・5%の天才
これまでの人生を振り返ってみよう。
自分と同じように内気な人って、いたよね。
僕も高校までを軽く数えて、10人以上の人に出会った。

ではその中に、性格が変わった人はいるだろうか。
僕は見たことがない。
それが「自分」なんだと思っているのか、自分を変えようと
努力してはいなかった。
おそらく95%以上の人は、内気な性格は変わらないまま
生きているのだろう。

そして残りの、努力して性格を変えた5%。
彼らは「天才」と呼ぶにふさわしい能力をもっている。
どんなに苦しくても、がんばれる。
怖くてたまらない世界に勇気を出して飛び込める。
そういったことができる才能。
それが、何かのきっかけで開花したに過ぎない。
僕にはそれがなかった。

・自分の道を歩め
僕はこれまでサッカーを続けてきて、感じたことがある。
人が成功する道は、人それぞれだということ。

入学して3日でレギュラーになった人。
一年のときにBチームに上がり、順当に自分の代になって
レギュラーになれた人。
ある日の試合で監督の目に留まり、急にレギュラーを獲得した人。
反対に、一年のころから一目置かれていたのに、最後には
控えにさえ入れなかった人。
そして、どんなに努力しても一番下のチームだった人もいた。

内気を勇気、根性で克服した人というのはほんのわずか。
その真似ができなくたっていいんだ。
ほかにも道はあるんだから。
僕はその違う道を通って、克服できた。
「勇気を出して話しかける」という名前の道ではなく
「考えながら努力する」という道を通って。

第三章 「ずっと内気だった」のウソ
・必ず原因はある
「物心ついたときから人と話すのが苦手でした」
そう考える人もいる。
僕自身も、以前はそう感じていた。

僕は中学校2年あたりから急に自分の殻に閉じこもるようになる。
それでも不思議なことに「急に内気になった」という自覚は
全くなかった。
「なぜこんな性格になったのだろう」と考えることさえしなかったんだ。
「ずっとこの性格だったんだ」と心の底で思い込んでいたような感じ。

だから僕は自分の体験から、こう考える。
「少数の例外をのぞいて、内気になったのには
必ず原因がある」と。

・大人は皆、子供だった
自分が幼稚園児だったころを、覚えてない?
分からないという人は周りにいる小さい子供を観察してみよう。
見ていると、その自然さにこちらの心も和む。
純粋に、ただ分からないことを親に質問するよね。
それに、失敗したとしてもまたすぐにやりなおす。
悲しかったら、泣く。
そしてすぐに立ち直る。
うらやましい、と感じる人もいると思う。

でも子供時代っていうのは、誰もが経験したもの。
当たり前なのに、多くの人が忘れている。
いつもむすっとしているあの人。
落ち着いているおじいさんおばあさん。
どっしりと構えた、偉い人。
彼らも泣きじゃくる赤ん坊だったんだ。
公園を元気に走り回っていたんだ。
楽しそうに歌を歌っていたんだ。
ニッコリと、ほほえむことができたんだよ。

ところがみんな、そのことを忘れている。
まるで「昔からそうだったんだ」と見えるくらい
彼らはむすっとしている。
落ち着いている。
えらそうにしている。

僕は「内気な性格」のことを、これと同じだと考える。
ただ、原因を忘れているだけだと。
昔の自分を忘れているだけだと考える。

もしあなたが生まれたときから今のように
恐怖におびえながら暮らしていたとすれば。
いま、この文章を読んではいないはずだ。
「ことば」も無数の失敗を乗り越えることで
身につけていくものだから。

そういう意味ではだれもが内気を克服する
素質を秘めているんだ。
小さい頃のような「失敗を恐れない心」を取り戻すことができれば
だれもが楽しく人生を歩んでいける。

・生まれつきの内気
冒頭で紹介した「例外」について少し解説しておこう。
たしかに生まれつき、人とのかかわりを
求めない人間というのは存在する。
「自閉症」と呼ばれる人たちのことだ。

ここで、疑問を感じるかもしれない。
自分がそうなのではないか?と

この答えは簡単。
「今、あなたが他人を本能的に求めているか」
この質問を自分にしてみるといい。

答えがyesならば、あなたの内気は
後天的なものが原因だ。

・組織にどの程度関わるか
僕は「集団に属していたい」という気持ちが弱い。

高校のサッカー部でのレギュラーチームの公式試合。
毎週遠くの学校まで何時間もかけて応援に行く。
試合の一時間前に到着しないと怒られる。
しかし試合会場ではやることがない。
一年生は球拾いをやるが、二、三年生は
見ているだけ。
試合が始まる。
みんなで声をそろえ、応援歌を歌う。
試合が終わったら、帰る。
応援で一日が終わる。

そんな中「どうしてこんなことしなくちゃいけないんだ」
と感じていた。
「こんなことしたって、意味がない」
「家で好き勝手に過ごしたい」
そんな不満を抱きながらの応援。

もちろん、なかには応援をサボる人もいた。
気が強い、わがままな性格の人は
さまざまな理由をつけ、行かないことが多かった。

でも僕はそんな行動に移れない。
行きたくなくても、休めない。
だって、怖いから。
まじめな部員、というイメージを壊したくない。
だれかに何か言われたくない。
そんな「恐怖」が僕の応援に行く原動力だった。

この僕の例からもわかるように、
何十人もいれば、集団に属したいという気持ちが
強い人も弱い人もいる。
僕とは反対に、応援をとても楽しんでいる人もいた。

多くの人と同じところにいたい、という欲求。
生まれつき大きな差がある。
僕のような人間はそれで苦しむが、
それを変える方法を、僕は知らない。

でも「他人と違う行動をとる」勇気と自信を
高める方法なら知っている。
それを身につければ自分のペースで満足のいく生活が
送れるようになるだろう。

第四章 「内気な人は甘えている」のウソ
・どうしてできないの!
「勇気を出して話しかけろ」と言う人たち。
彼らはこんな疑問を心の底に持っている。
第一章で話したよね。
だからあんなにあなたをきつく叱るんだ。
「こんなに簡単な事なのに、どうしてできないの!!」
「あんた、甘えてるんじゃないの?(怒り口調で)」
っていう風に。

また、この疑問から、
内気な人間を別世界の住人だと思う人もいる。
彼らは無関心を装い、冷たい目を投げかける。
僕らに距離をとり決して関わらない。
「どうして自分から人と関わらないのだろう、変な人だな」
心の中でそう思いながら。

僕は高校時代、授業で発言をしなかった。
サッカー部で二人組みを組むとき、声をかけられない。
自分から友達を作ろうともしなかった。
だって、怖いから。
あのころのクラスメイトは、こう思ったことだろう。
「そんなこと、どうして恐れるの?」と。
おかしな人だな、と思われたことだろう。
実際、僕に全く近寄ろうとしなかった人は何人もいた。

・では、甘えているのか
僕らが人よりビクビクしている理由を「甘えているからだ」と
とる人もいる。
ある日、これは「引きこもり」についての
掲示板なのだが、こんなことが書いてあった。
「甘やかされて育ったから、世間の重圧に
耐えられないんだ」
だから安心できる内側の世界へ引きこもった、というのだ。

みんなはどう思う?
僕たちは甘やかされて育ったんだと考える?
僕はこれ、半分だけ正しいと思う。
自分自身の体験からそう感じるんだ。

まずは正しい部分。
それは「親が子供の自立を認めなかった」
「何でも親がやろうとした」という部分だ。

僕が中学生のとき。
忘れ物をすると、家に電話した。
するとすぐ、母がそれを学校に届けてくれた。
今の僕から思うと
「なぜ忘れたのか」
「同じ失敗をしないためには、何をすればいいか?」
と僕に問いかけて欲しかった。
あるいは冷たく突き放してもよかったと思う。
そうすれば僕はきちんとした人間になれたはずだ。
自分の意志で。
でも母は、ただ届けるだけ。
僕に成長、進歩を促そうとはしなかった。

こんなふうに子供を過保護に囲い込むと、自立心のない子供が
生まれるのは事実だろう。だからいつまでも他人を頼ってばかりで、
自分の頭で何かを考える習慣がつかない。残念ながら昔の僕も、
こちらの次元に属していた。あの頃の僕は「黙って何もしなく
ても、そのうちほかの誰かが話しかけてくれるだろう」
という甘い期待を抱いていた。

そして間違いの部分。
それは、力ずくで自立を押さえ込まれたということ。
彼らが何で自分の意志で行動しないのか、分かる?
それは親から怒鳴られ、けなされ、馬鹿にされ続けたから
なんだよ。自分で何かに挑戦し、失敗する。そうすると
「ほら見なさい。あんななんかにできるわけないでしょ」
とバカにされる。だから「私は何をやっても自分ではできない」
と思ってしまうんだ。

親が子供を自立へと導かなかった。
しかも子供を大声で叱り、自信を奪っていた。
この2点から僕は内気な人が「甘えている」とは考えない。
「ある部分では甘く育てられた」のは事実だが。
「別の部分では厳しく育てられた」のもまた事実。

何の抵抗力も選択権もない「子供」には、
何の責任もない。
ただ、目の前の環境を行き抜いただけ。
そんな子供の成れの果てである僕たちは何も悪くない。
これは事実だ。

・死ぬほどの苦しみ
問題です。
「中流」の生活をしている二人の人物。

一人は貧乏な生活から努力を重ねて、その生活を
手に入れた人。
もう一人は、かつてお金持ちだったが事業に失敗し、
そのレベルまで落ちてきてしまった人。
そのどちらが、苦しんでいるだろう?

もちろん個人差はあるだろうけど、答えは後者だよね。
以前の環境によって、同じ生活をしていても感じるものは
異なる。

内気な人、も例外ではない。
「死ぬほどの苦しみ」を味わっているんだ。
怖くて話しかけることができない。
そのとき恐れているものは、実は「目の前の世界」では
ないんだ。
はるかむかし、両親が世界の全てだったころ。
友達に見捨てられることが、世界の終わりのように
感じたころ。

そのころの「自分の全てを失うことへの恐れ」が
無意識のうちに甦っているんだ。

詳しくは第六章で説明する。

同じ環境なのに、私はできない。
だから私は、だめな人間だ。
そう考えてはいけない。

昔の環境があまりにも過酷だったから、できなくて当然なんだ。
自分を責める必要なんてないんだ。

第五章 「内気は治らない」のウソ
・変わるのか?変わらないのか?
「性格は変わるのか?変わらないのか?」
みんなはどう思う?

僕は中学校時代「人間の性格は変わらない」と思っていた。
みんな生まれつき、あるいは幼少時の経験によって作られた性格。
そのまま生きていくのだろうって。
「三つ子の魂百まで」なんてことわざもあるよね。
心理学者の中でも「性格は変わらない」と考える人は
たくさんいるという。

では、本当はどうなんだろう。
僕は「変わる部分と変わらない部分がある」と考える

・内気を克服して見えてきたもの
「僕は内気を克服できた」。
HPにこう書いてある。
でも実は、この言葉は間違い。
「内気による苦しさを感じなくなった」
「自分らしく振舞えるようになった」というのが、正しい言い方だ。

僕は恐怖を克服して、性格が変わった。
人に向かって、言いたいことをはっきりと言えるようになった。
理不尽な苦情、言いがかりに対して逆らえるようになった。
本当に追い込まれたのなら、どんなことだってできる自信がついた。

だけれども、心の奥底の性格は、全く変わらなかった。
少ない人間と、深いつながりを持つのが好き。
一人で行動する方が、身軽で楽しい。
友達と無駄話をするより、自分のためになることをしたい。
そんな思いは、以前のまま。

「自分が180度変わる」という幻想は持たないほうがいい。

・ではどうすればいいのか。
あなたはまだ恐怖を克服していない。
だから、話を戻そう。
その「恐怖を克服するにはどうすればいいか?」について。

その答えは、あなたの行動を邪魔する「何か」を
壊すこと。

その「何か」は、恐怖という感情であなたを縛り付ける。
「そんなのできっこない」
「お前なんか、楽しく生きる価値なんてない」
そんな否定的な考えとともに、あなたの心を支配する。

その恐怖がなくなったら、どうなるだろう。
そう、もう話すのは怖くない。
だから、自分を表現できるようになる。

・鎖を断ち切れ
犬が鎖につながれている。
その犬がどんなに一生懸命前へ進もうとしても、進めない。

犬はそんなとき、ひたすら進もうとする。
でももしあなたがその鎖につながれたなら、鎖を外せるよね。

内気を治すための秘密は、ここにある。

今のあなたが「恐怖」という名の鎖に縛られ、みんなのように
のびのびと行動できないのなら、鎖を断ち切ればいい。
「怖い」という感覚そのものをしっかりと見極め、
恐怖を克服していくんだ。
そうすれば恐怖に真っ向から立ち向かうことなく、内気を治せる。
あなたが力ずくで鎖を断ち切れる「5%の天才」でないのなら。
この方法をとってみよう。

鎖とは何か、どうすれば切れるのか。
それをこれから学んでいこう。

第六章 内気とはトラウマだ
「トラウマ」。
この言葉、聞いたことある?
平たく言えば、「心の傷」というもの。

たとえば車の運転中に事故にあった人。
同じような場面に出くわすのではないかという恐怖で
運転するのが怖くなる。

僕は小学生のころ、犬に噛まれたことがある。
それ以来しばらくはその犬と同じ種類の白い犬を見ると、
怖くて近寄れなかった。

だれかに告白して、ふられる。
それからはそのショックで、その人と会話できなくなる。
こんなこともよくあること。

実は内気というのは、これらと同じものなんだ。

「物心ついたころから人と話すのが苦手でした」
「自分が内気になった原因がよく分からない」
僕がこのHPを開いてから、こういった声をよく聞く。

僕自身、中学校時代から趣味で心理学系の本を読んでいて、
そのなかでトラウマについてかなり知っていたけど
まさか自分の内気がトラウマの一種だとは気づかなかった。
克服する寸前まで。

人間の記憶というのは不思議なものだ。
自分にとって都合の悪いもの。
目を向けたくないこと。
そういったものが目に入らなくなる。
目の前にあるのに、見えなくなる性質を持っている。

でも注意深く自分の過去を振り返ってみることで、
それを自分の心に浮かび上がらせることができる。
そうすると「何でこんなことに気がつかなかったのだろう」
という思いをするはずだ。

・僕の場合
僕がその作業を行って見えてきたもの。
それは、両親から受け継いだ恐怖の種が自分の中で
大きな割合を占めていた、ということ。

まずはお父さん。
とてもやさしく、よく遊んでくれていた。
しかしときに急変する。
普段は大丈夫なことでも急に「キレる」のだ。

いきなりえりくびをつかまれて
「はりたおしたろか」などと脅す口調で叱られる。
そのときのものすごい恐怖と、服を引っ張られて
首を締め付けられる感じは、今もはっきりと思い出せる。

サッカーの試合に向かう車の中。
お父さんの言った言葉にむっときた僕は、大きな声で言い返した。
そうしたら突然、怒鳴り出した。
そして会場に着いたら車を引っ張り出され、1000円を
放り投げられ「お前なんか知らん。勝手に帰れ」
と見捨てられたことも。

何かのことで怒られたとき。
僕のお気に入りだった緑のプラスチックかごを
八つ当たりで床に叩きつけられ壊されたこともある。
子供心に、かなりショックだった。

そのどれも、普段なら怒らないこと。

普段父と接するときは、普通に楽しかった。
でも急に無言になったりしたら、びくっとして
その恐怖に襲われた。

彼によって「人は怖いもの」「心の底では人は自分を
嫌っている」という考えが、心の底に生まれたのだと考えている。
他人と楽しく過ごしているときも、心の片隅でその人から
急にえりくびをつかまれ、脅されることを恐れていたのだろう。

そしてお母さん。
おそらく近所の人から見れば、普通の専業主婦だろう。
僕にとっても「表」の部分では、そうだった。
毎日家族のために料理を作ってくれる。
洗濯。掃除。学校の仕事。
普通の部分では、ごくふつうのいい母親だった。
そんな母を、当たり前に慕っていた。

でも「裏」の部分。
僕がお母さんの言葉に納得できないとき。
自分のことを主張するとき。
恐怖の世界が目の前に現れた。

僕は、昔から頑固な方だった。
自分で納得できないと、何もやろうとしない。
そんな僕を従わせようと、母は何をしたか。

まずは「説き伏せる」こと。
子供の論理力なんて、たいしたことはない。
僕が自分の意見を主張すると、すぐに説き伏せられた。
そしてそれと同時に非難され、けなされた。
「そんなの屁理屈でしょ!」という言葉。
何回言われたことだろう。

しかしそれでも納得しないとき。
「体罰」が待っていた。
お尻をたたかれる。
ほっぺをつねられる。
ひっぱたかれる。
家の外へ放り出される。

毎日が苦痛の連続だった。
僕が小柄でひ弱な体格ながら中学高校のサッカー部での
辛い練習に耐えることができたのは、それ以上の苦しみを
自宅の中で味わっていたからだと確信している。

そして不思議なことに、僕の記憶は一部欠けている。
叱られたことは覚えているのに、なぜ叱られたのかはまったく
思い出せない。

僕は母親から
「自分が絶対に正しいと思っても、それは間違いだ」
という思いを与えられた。
他人と話をしているときも、心の片隅でその人から
大声で怒鳴られ、けなされ、笑われることをいつも恐れた。

・ほかの人の場合
ほかの人も似たような経験をしている。

話してもなかなか受け入れてもらえなかった。
賞賛されるような結果を出すと怒られたため、
自分の心を閉ざした、という人。

小さいころの見捨てられた恐怖から、兄についてまわる。
そのため相手に邪魔者扱いされ、よけいに自分が
無能な人間と感じられるようになった。という人。

警察官の父親から体罰を含めた厳しいしつけを受けた、
という人。

祖母からいつも「おとなしくて女みたいだ」という言葉を
聞かされ続けたという男性。
子供心に侮辱されたと感じ、傷ついていたという。

本当に人それぞれの経験がある。

昔の思い出。それが自分の中で「メッセージ」を
作るんだ。
「私には価値がない」
「私はだめなにんげんだ」
「みんな私を嫌っている」

そしてそれは心の奥底にしまわれ、自分でも気づかない。
それを取り除かない限り、そこから毒が自分の外に漏れ出し、
苦しみ続ける。

・量ではなく、偶然
犬のトイレのしつけ。
これは個体差が大きいらしい。

普通のやり方だと、部屋でおもらししたとき。
その犬を叱る。トイレへ運ぶ。
これを繰り返して覚えさせていく。

「この場所でならおしっこをしてもいいんだ」と
学べばそれで解決。
もうその犬は怒られることはない。
でも、犬によっては違うふうに解釈する。
「人間の前ではおしっこをしてはいけない」。
そしてその犬は人のいないところで、おしっこをする。
そして怒られる。
その繰り返しによって、ずっと苦しみ続ける。

人間の無意識の心。
それが目の前の現象をどのように解釈するか。
それは全くの偶然なんだ。
苦しみの量。大きさ。
それは、決定的な原因ではない。

では、同じような経験をしても
「違う解釈」をした人間はいるのか?
実は彼らは、この世にたくさんいる。
「マイナス思考」「性格の悪い人」という形で。

かれらは、「自分の意見」「他人」と
つらい経験を結び付けなかった人たち。
普通に人と接することができる。

でも、自分に自信がない。
だから物事を悪い方に解釈する。
「私は何をやってもだめだ」って。
これ、さっきのと似てるよね。

そして、他人を蹴落とすことで心の安らぎを得る。
「おれはあいつよりはできるぞ」とね。
だから相手をあざ笑う。
けなす。
批判する。
権威を振りかざす。
暴力を振るう。

彼らに苦しめられてきた人は、多いだろう。
でも彼らも苦しんでいるんだ。
自分の「トラウマ」に。
あなたと同じように。

※最新の研究によると、内気な性格というのは必ずしも
トラウマが原因ではないそうです。生まれつき他者に恐怖を
感じる人もいるといいます。しかし同時に
「トラウマに原因を持つ内気な人間」が一部存在することも
また事実なようです。

第七章 内気とは練習不足だ

・練習しなけりゃ、うまくならない
僕は5歳のときからずっとサッカーをやってきた。
そのため、学校の体育のサッカーなどで素人のプレーを
見ていると「下手だなー」と感じる。

ボールを止める。蹴る。
その「基本」がなっていない。
だから動作がぎこちなくなっている。

引っ込み思案な人が直面するジレンマ。
「何を話したらいいか、わからない」
「異性を目の前にすると、何も話せない」
これらの原因もこのサッカーの素人と同じなんだ。

・恐怖で話せないことによって・・・
過去に、つらい思いをする。
それによって自分を表現することが怖くなる。
人間そのものに恐怖心が芽生える。

これについては、もう説明したよね。

その恐怖がもたらす内気の原因の二つ目。
それは「練習不足」。
「恐怖で話せない」ことによって、
話すことに対するスキル(技能)が上達しないんだ。

生まれたての赤ちゃん。
もちろん、話すことができない。
それから学習によって、少しづつ話すことを学んでいく。
一語文(おしっこ! とか)
二語分(ブーブーキタ など)
そして次第に自在に言葉を扱えるようになっていく。

でも、「恐怖」を心に持つ子供はどうなるのか。
実は「話す能力」のある一部分だけ、成長しなくなるんだ。

初対面の人に対して話を切り出し、相手との間合いを詰めていくスキル。
「大人の話し方」というのかな。一般的な、相手を喜ばせるための
「社交」の話し方のスキル。

そういった未発達の部分を抱える人たち。
それが「内気な人」なんだ。

・では、治らないの?
「では、治らないの?」
そう不安になってしまう人、いるかな。
でも心配いらない。
昔学べなかったものは、これから学べばいいんだ。

だけど多くの人はここでつまづく。
「できない!」「怖い!」と感じた時点でそれを避けてしまうんだ。
だけどそこで逃げないで。
「少しづつ学んでいこう」と考えていけば、必ず上達するから。
僕ができたように。

「大人になってからではもう身につかないんじゃないの?」
こう疑問を感じる人もいるかもしれない。

それも大丈夫だ。
なぜなら、誰でも持っている「ある感情」を目覚めさせれば
いいだけなんだから。

その名は、「好奇心」
ね、だれでも持っているでしょ?

内気な人っていうのは、「初対面の人に対する好奇心」にだけ
ふたをしているんだ。
「恐怖」という名の。
そのふたを取り除いて「スキル」を上達させれば
会話がスムーズに流れるようになる。

第八章 内気とは「慣性」だ

内気な性格が生まれる理由の三つ目。
それは、慣れ。
当たり前であること。もう知っていること。安全だと分かっているところ。
そういったところに慣れすぎているために、
見知らぬこと、新しいことに対して一歩が踏み出せなくなるんだ。

・「慣性」とは?
タイトルで「慣性」という言葉を使った。
これ、どういう意味か分かる?

理科で習ったよね。
「物体に何も力が加わらないとき、その物体は同じ運動を続ける」
止まっている物体に何もしなければ、それは止まったまま。
もし摩擦などがなければ、動いている物体は永遠に動き続ける。

実はこの法則。心の中にも当てはまる。
ずっと同じことを繰り返している人。
彼が急に違うことをしようとすると、「抵抗」を感じるんだ。
どうしても、これまでと同じ「安定」を求めてしまう。
(参考文献 ニュートンの知恵

内気な人の「慣性」はこう。
いろんな原因から、人と話すのが苦手になる。
すると一人でいたり、仲のいい友達とばかりいるのが多くなっていく。
するとその「安全」に慣れてしまい、ますます新しい世界に入るのが
苦手になる。
悪循環、というやつだ。

・地道に積み重ねてきたもの

この世に生を受け、生まれてきたとき。
誰もが何も知らない。
目の前にあるもの全てが冒険。
試行錯誤を繰り返し、学んでいく。
自分以外の人間について。
言葉の意味について。
道具の使い方ついて。

今、「当たり前」だと思っていること。
それは、あなたが小さいころからこつこつと積み重ねてきたものなんだ。

そして、その「足かせ」も。
昔の経験から、人と接するのが怖くなる。
怖くて話しかけられない。
自分の意見をはっきりと言えない。

そんな経験を何回も何回も繰り返すことにより
それが「当たり前」となっていく。
自分の殻に閉じこもり、ひとりでいるのが多くなる。
あるいは、いつも誰かのあとにくっついていくようになる。

そんな経験を何回も繰り返すことにより、
あなたの足につけられた「重り」が一個ずつ増えていく。
キーホールダーをかばんにたくさんぶら下げた子供のように、
それはどんどん大きくなる。

・取り除くのも、こつこつと
その重りを取り除くにはどうすればいいか?
無理やり引っ張って取り除ければ、それが一番。
でもそれは、ほとんどの人には難しい。

だったら、一個ずつこつこつと取り除いていけばいい。
今の状態というのは、いわばその「キーホールダー」が
たくさんついて、複雑に絡み合っているようなもの。
そのひとつひとつに注目し、一個ずつ丁寧に取り除いていけば
少しずつそれは小さくなる。

そしてあるときふと気がつく。
以前より楽に毎日を過ごしている自分に。

大切なことだから、もう一度言おう。
あなたの恐怖の鎖を「力ずくで」取り除くことができないのなら。
少しずつ取り除いていこう。

第九章 人間の歯車が狂うとき
・死を避けるプログラム
人間には、生きるための仕組みが備わっている。

エネルギーが足りなくなると「空腹」という信号を出して
それを取り入れる。
水分が足りなくなると、「渇き」という信号。
体温が下がると「寒さ」
体温が上がりすぎると「暑さ」
体が傷つくと「痛み」
これらは全て、命を保つためにあるんだ。

そして恐怖という感情。
それもその重要な信号のひとつ。
高いところにいるとき。
誰かに襲われたとき。
絶体絶命のピンチに襲われたとき。

体は「恐怖」という信号を出すんだ。
そして、「その状況から早く逃げろ!」と命令する。
生きるために、死ぬ危険がある状況を避けようとする。
そんなプログラムが生物にはある。

・社会的な「死」も同じ
遊ぶ友達が誰もいない。孤独を感じ、さびしく思う。
「○○(あなたの名前)って、変だよね」と友達が話しているのを
偶然耳にする。心にグサリと来て、胸が苦しくなる。
失敗し、クラス中のみんなから大笑いされる。
恥ずかしさから、とても嫌な気分になる。

でも、なんで?
どうしてそんな思いをするの?
ひとりになったって。
友達から変に思われたって。
みんなに笑われたって。
何も起こらないのに、どうしてこんなに苦しいの?
何も恐れるのものなんて、ないはずなのに?

そう思わないかな?
その答えも実は「死を避けるプログラム」にあるんだ。

あなたという存在。それが社会から消え去ってしまうこと。
全ての人から、あなたのことを忘れ去られてしまうこと。
誰からも認めてもらえないこと。

「この世にいてはいけない存在」
「わたしは誰からも必要とされていない」
「私はこの社会から認められない、劣った人間」
こうなってしまうことを恐れてるんだ。

肉体的な「死」と同じように。
社会的な「死」を恐れる。
そんなプログラムが、人間にはある。

・プログラムの暴走
では、内気な人の「プログラム」がどうなっているのかというと、
実は暴走してるんだ。
些細なことで強い危険信号が出てしまう。

昔他人から、ひどくつらい思いをした。
そのため「見知らぬ人=社会的な死をもたらす」ということを
体が覚えこんでしまっている。
(これについては、個人差が大きいですが)

だからね。普通の人が平気なことでも
普通の人より何倍も大きな恐怖を感じているんだ。
社会的な死を恐れて、文字通り「死ぬほどの苦しみ」を
味わっている。

・あなたはみんなと同じ
僕はかつて「積極的な人」に憧れを抱いていた。
クラス替えした直後。なかなか話しかけられない僕に優しく
言葉をかけてくれた人。
明るいクラスのムードメーカー。
積極的に異性に話しかけ、どんどん仲良くなっていく友達。

その世界を眺めながら、僕には縁のない
雲の上の世界だと思っていた。

でも実際、違うんだよ。
彼らが何でそんなことができるのかと言うと、
僕らと比べて恐怖が何倍も少ないからなんだ。
同じこの世界に生きていても彼らとあなたでは、
見ているもの。感じていること。それが違うんだ。

だから、自信を持っていい。
あなたはすごい人間だ。
普通の人と比べて何倍も苦しいこの世界を、ここまで生きてきたのだから。
あなたは普通の人より、何倍も強い。

これから自分の心に潜む、恐怖という鎖を断ち切ったとき。
その力が開花するだろう。

*不幸とは、幸せだ
みんなに質問。
結果の分かっている映画って、楽しい?
主人公が最初から完璧で、どんなピンチも簡単に乗り越えてしまう
映画って、面白い?

つまらないよね。

次に何が起こるのかわからないから。
主人公が学び、成長していくから。
さらに強い敵。高すぎる壁。
そういったものを乗り越えていくから楽しいんだ。

だから、不幸な環境に育った人。
彼らは恵まれているんだ。
これからの人生において、「達成の喜び」をたくさん経験できるから。
困難を乗り越え、壁を打ち破る。
そんな感動のストーリーがこれから待っているから。
自分が主人公なら何倍も面白い。感動する。

不幸な境遇に生まれた人は、すぐに人生を楽しくできる。
この現実を「変えたい!」と思うことによって。
そのための努力を始めた瞬間、世界は変わる。
幸福な環境で育った人では味わえない、冒険の人生が待っている。

実践メルマガ あなたも人と話すのが楽しくなる
no.1 いま自分にできることに集中する

・他人は思い通りにならない
問題です。この三つのグループの違いは何でしょう?

Aグループ
・自分の手
・今日の予定
・昼食を食べる店

Bグループ
・息子の成績
・宝くじが当たるかどうか
・上司の機嫌

Cグループ
・今日の天気
・サッカー日本代表の成績
・自分の身長

答えは、「自分でコントロールできるかどうか」です。
Aグループは、ほぼ完全にコントロールできる。
Bグループは、ある程度影響を与えることができる。
Cグループは、ほとんどコントロールできない。

僕たちは普通、どれに関心がある?
たいていの場合、BかCだよね。
たとえば、こんな風に。
「勉強しなさい!」−B
「あの事件はどうなっただろうか」−C
「CDの発売日は…」−C

僕もかつてはそうだった。

高校の日本史の先生で、いつも授業が遅くなる人がいた。
終わりのチャイムが鳴る。
先生は授業を続けている。
そんな時、僕は彼をにらみつけ「早くやめろ」とイライラした。

サッカーの試合で自分のところにボールが来ない。
「どうしてそんなところでミスするんだ!」
味方がボールをとられるたびに、落胆する。

自分でコントロールできないもの。
それがうまくいくことを願う。
しかし思い通りにならない。
だからイライラする。
落胆する。
恐れる。
怒る。

でもさ、よく考えると変じゃない?
自分がどんなにがんばってもコントロールできないもの。
それを無理にそうしようとする。
そして気分を害する。
でも何も変わらない。

変だよね。

それよりも「その問題に対して自分ができることは何か」
と考えて行動した方が効率がいいと思わない?

思うよね。

ではこれからは、そうしようよ。
愚痴や不満、悪口、心配をするよりも
「いま自分にできること」をやってみよう。
自分がそれをコントロールできるのか。できないのか。
それを考えるんだよ。
できるのなら、それをやる。
できないのなら、あきらめる。

そうすると、毎日が楽しくなるよ。

・自分が変わると
「自分に何ができるか」を考えると、不思議なことに
周りの状況がよくなっていく。

その日本史の授業のときは
「この人はそういう人なんだ。仕方ない」と考えることにした。
そしてチャイムが鳴った瞬間、先生の授業を半分聞きながら
次の授業の準備やほかの教科の勉強を始めた。
すると驚くほどイライラしなくなった。
「今自分にできることに集中する」ことの威力を感じられた
出来事だった。

サッカーでボールが来ないときは、こう考えることにした。
「全力で守備をして、もしボールが来たら最高のプレーをしよう」
すると少しづつチームの状態がよくなった。
うぬぼれに聞こえるかもしれないけど、僕が全力で動き回り
起点となってチームを立て直したことも何度かある。

・選ぶのは自分
口で言うのは簡単だけど、最初は難しいだろう。
ふと気がつくとこれまでどおり不満を口にしている
自分に気がつく。

でも意識的に繰り返すと、変わっていくよ。少しずつ。
不満や怒りを感じるたびに「ちょっと待てよ」と
立ち止まり、「今自分にできることは何だろう」と
問いかける回数が多くなっていく。

目の前に高い壁がある。
苦しみの世界に突き落とされた。

そんなときに
悲劇の主人公でい続ける?
愚痴と不平不満の日々を過ごしたい?

それとも今を変える一歩を踏み出す?
「自分の努力」に意識を集中する?
どちらの道を進むのか。
選ぶのは自分自身だ。

参考文献 7つの習慣ティーンズ

no.2「新しいことに挑戦する」
・挑戦の力が落ちている
数年前、二歳だった僕のいとこのことで印象的な
エピソードがある。

僕の家族とおじさんの家族で祖母の家にいたときのこと。
けんちゃんという子なんだけど
その子が蓋のついたコップをいじっていた。
そこで僕がそのコップを取り、彼の目の前で
ふたを開けて見せた。
それからそのふたをゆるく締めて、彼に渡した。
そうしたら、彼は僕と同じようにコップのふたを
開けたのである!

僕はそれをみて、こう思った。
「日常生活で当たり前だと思っていることも、全て
学習の成果なんだ」
立つ。歩く。箸を使う。
みんなそう。
そして、「人との付き合い」も。

ただし、僕たちはここで少しつまずいている。
「恐怖」によって学習の機会が奪われたんだ。
だからうまく話せない。

しかも、その「恐怖でできない」ことを繰り返すことによって
「新しいものへ挑戦する力」が大きく落ちている。

・練習を重ねよう
挑戦する力が落ちている。
そういったけど、実は「眠っている」だけ。
みんなが「好奇心」に素直に従う癖をつければ
自然とそれを「目覚めさせる」ことができる。

そのやり方は、練習あるのみ。
レストランに行ったら、普段は頼まない意外なメニューを
頼んでみよう。
弁当、お菓子なども同じ。
新聞や雑誌で感じた小さな疑問点について
インターネットや本で詳しく調べてみよう。
コツは「今すぐにやる」こと。
思い立った瞬間に行動しよう。

そういった「好奇心の芽」を少しづつ目覚めさせれば
どんどん生活が新しくなっていく。

とはいっても、抵抗があるよね。
「何か言われたらどうしよう」
「めんどくさい」
ときにそんな不安に駆られることがある。

そんなときは、一歩だけ前へ進もう。
たとえば入りづらい店だったら、外から
雰囲気を感じるだけでいい。
本を一冊読めないのなら、数ページだけ読んで
ひとつだけ新しいことを学んでから本を閉じる。

ほんの少しでいい。
新しいものに触れる癖。それをつけることが目的だから。

・泣くのはたやすい
僕が繰り返し唱えていた二つの言葉がある。
サッカーでちっともうまくなれないとき。
内気な性格のせいで自分をうまく表現できないとき。
こう考えていた。

「1を10にすることはできないかもしれない。でも
工夫すれば4や5にすることは可能なはずだ」

努力を続けても無駄なのではないかという不安に襲われる
たびにこう言い聞かせた。

「今の自分が苦しいのは自分のせいじゃない。他人のせいだ。
でも今の自分をこれからどうするか。それは自分の責任だ」

自分の苦しみを運命や他人のせいにしたくなったときに
この言葉をつぶやいた。

苦しむのは辛い。
でも、そこにい続けることはとても簡単だ。

「そんなこと言ったって、変わることの方がもっと苦しいよ」
そうだね。それは僕もよく分かる。
だったら、考えようよ。作ろうよ。
あの恐怖に、無気力に真っ向から立ち向かうことなく
自分を変える方法を。
言い訳をしても何も始まらない。

no.3「無敵の強さを」
・じわじわと効いてくる
僕が人への恐怖を克服できた理由。
それは
「才能」ではない。
「努力」でもない。
「偶然」でもない。

もちろんそれらは欠かすことのできないもの。
詳しいことは次回述べようと思うけど
僕はこの3つをそれなりに備えていたと思っている。

でも決定的な理由ではない。
数々の理由の中であえて、ひとつあげるとすればそれは
「自分を高めること」。
派手さはないけれどそれは僕にじわじわと
誰にも負けない無敵の強さを作り上げてくれた。

・有名な童話
ウサギとカメが競争することになった。
どちらが先にあの丘の頂上までたどりつけるか。

スタートの合図とともに、ウサギは全力で駆け出した。
のろまなカメをあっという間に引き離す。

ウサギが走り出して何時間かたったころ。
ゴールが見えてきた。
あと五分で着く。
そのとき、後ろからものすごい音がした。

なんと、カメが自動車に乗っている。
一瞬のうちにウサギを抜き去ってゴール。
・・・
僕の提唱する「自分を高める」という考え。
それを、とある有名な童話をベースに分かりやすく説明
してみるとこうなる。

走り出す前に「どうすれば効率よくあそこへ着けるか」と
考えて工夫を重ねたならば、何も考えずに努力している
やつを一瞬で追い抜ける。

・試してみよう
このHPの1ページ目で僕は言ったね。
「勇気を出して話しかける」よりも
「考えながら努力する」ほうが効果があると。

そして実は「考えながら努力する」ことを補助するもう一つの
大切なことがある。それは「自分の頭脳を磨く」ことだ。

試してごらん。
あなたは本をいったいどのくらいのスピードで読める?
例えば文庫の小説見開き2ページ。
タイマーをつけて読むスピードを計ってみよう。
話の内容がつかめるくらいの速さで読んで
いったいどのくらい時間がかかる?
ちなみに2007年5月現在の僕のスピードは
5秒。
しかも、適当にボーっとして軽く読んだだけ。
内容もはっきりと思い出せる。

本を読むスピード。
頭の回転の速さ。
記憶力。
理解力。
集中力。
「考えながら努力」することと同時に、これらの能力を高める
ことを意識しよう。そうすれば、何倍も効率よく努力ができる。

・頭は良くなる
これまでのあなたは学校教育の影響で「頭のよさは生まれつきで、
死ぬまで変わらない」と思っていたはずだ。
でもそれは実は真実ではない。
生まれつきの差はとても大きいけど、「今の自分の頭のよさ」を
高めていくことは可能なんだ。
僕はそれをやり続けてこれまで生きてきた。

しかも今「自分は頭が悪い」と思っている人ほど
これから先大きく伸びる可能性を秘めている。
頭が悪いんだったら、頭をよくしよう。
単純なことだ。必ずあなたにもできるはず。
オススメの本
仕事力を10倍高める速読トレーニング
「超右脳活用ノート」

no.4楽しみながら学ぼう
このHPを読んだ人の多くが僕のことを
努力家だとか、前向きだとか言ってくれる。
とてもうれしいことだけれども、実は僕にそんな実感は
ないんだ。
ただ本を読んでいたら、ここにたどり着いていた。

・面白かったから続けられた
僕がここまでの長い間努力?を続けることができたのは
それがとても楽しかったからなんだ。

たとえば勉強法についての本を一冊読む。
そうすると、実用的なテクニックが書いてある。
それを試す。
するとこれまでより勉強がはかどった。
だからもっと知りたくなる。
ほかの本も読む。
するとさらに頭がよくなった。
・・・

そう、こんな感じ。
本に書いてあることを実際に試すと、目の前が明るくなる。
毎日が楽しくなる。
だから本を読み続けた。
「毎日がとても苦しかった」とは書いてあるけれども、
本を読むこと、それを試してみること自体はとても
面白いことだった。

・僕の努力も
ではみんなに聞いてみよう。
僕はいったい一日にどのくらい「自分を変える」努力を
していたと思う?

答えは「5分以下」。
多いときでも10分くらい。
それ以外の時間はマンガとゲーム、勉強やサッカーに
明け暮れていた。
読書だって、寝る前の10分だけ。
一生懸命の努力なんてしていないんだよ。

そしてさらに「5分の努力」自体も、本で読んだことを
試しただけ。
「七つの習慣 最優先事項」という本に書いてあった
スケジュール管理を試してみたら、すごくうまくいった。
意味のない無駄なことよりも、自分にとって大切なことを
優先することができた。
充実した前向きな人生を送れた。
その充実感が楽しかったから、「5分の努力」を
何年も続けられたんだよ。

学校での人間関係はとても苦しかったけれども、学校生活全体は
とても充実した有意義なものだった。

・毎日を楽しもう
そんな道を歩いてきた僕だから言えるのは「楽しみながら努力しよう」
ということ。
まず一歩前へ進んでみる。
そしてそこで新しい世界を味わう。
それを繰り返せば、努力は苦しくなんかない。
「遊んでいるときの楽しさ」ではなくて
「充実した時間を過ごしている楽しさ」を追い求めよう。
そうすれば、毎日がますます楽しくなる。

no.5自信をつける方法1 日記
・サッカーノート
僕は中学校二年生のときからずっと「サッカーノート」を
つけていた。
つまり練習日記のこと。
たとえばこれは1999年6月5日、僕が中二のときの内容だ。

今日は朝練でセンタリング。午後はセンタリングとミニゲーム
をやった。
 センタリングのとき、トラップが全然できなかった。
ロングパスはよかったが、左のセンタリングは一本も
浮いたボールがけれなかった。
 ミニゲームは、新しい動き方を教えてもらった。
その動きは5,6回ぐらい成功した。あと、相手に
ワンサイドカットをしたら、スピードで振り切られた
時もあった。今、僕に足りないのは、基本と一対一の強さだ。

練習メニュー。できたこと。できなかったことを思いつくままに書く。
僕はこれを続けて、自分のプレーに対する自覚が出たように思う。
でも、まったくサッカーは上達しなかった。

問題を解決するたびに、また新しい問題が出てくる。

・プラス日記のつけ方
僕はその日記のつけ方の間違いに気がついたのは、本を読んでいたから。
読んだ本のいくつかに、日記のつけ方が書いてあった。
そしてその内容を自分なりに組み合わせて
「プラス日記」というものを作り上げた。
それをここで紹介しよう。

やり方は簡単。
「今日の良かったこと」を5つ書き出すというもの。
どんなに悪い日でも、必ず5つ書き出す。
例えばこれは2004年11月2日の内容。

11/2(火)
・国会図書館に行って仙道の本を読んだ
・HPの文章を更新した
・ランニングをした
・ヨーガをやった

必ず、と決めていたのだがなぜかこの日だけ
4つしか書いてなかったみたいだ・・・
まあとにかく、試してみるといい。
前向きな毎日を送れるようになるはずだ。

最初のうちは「3つ」の方がいいかもしれない。
そのほうが簡単だから。
始めはこじつけでもいいから、3つ書き出すことを続けよう。
例 今日も一日元気だった
無事に家に帰れた
簡単に3つ書き出せるようになったら「5つ」にチャレンジしよう。

僕はこれを始めると、自分に自信がついてきた。
昔は過去のページをめくると
「どうして何度も同じ失敗をするんだ」
と落ち込んでしまうことが多かった。

でもこれを始めてから、気持ちがどんどん前向きに変わっていった。
「俺はこんなにできるんだ!」
という気持ちになれた。

・今の僕は
ちなみに2006年5月現在の僕は、日記を書いていない。
自分に自信がついて「これ以上は必要ないな」と
感じ始めたから。
その代わりに「一ヶ月の反省」というものを続けている。
月末に「今月は何を進歩したか」を書き出すというもの。

まずはそのまま試してみよう。
そして実践をしながら、自分なりの改良を加えていこう。
そうすれば、無理なく続けられる。

no.6自信をつける方法2 自分との約束
・自信のある人ない人
自信とは何でしょうか?
こう聞かれてすぐに答えが出る人は少ない。
答えは「自分を信じる心」
私はできる!という気持ちのこと。

自信がある人は、次々と新しいことにチャレンジする。
いつも強気で明るい顔をしている。
自信がない人は、何かに挑戦することができない。
いつも弱気でビクビクしている。

・自信をなくす原因
内気で人とうまく話せない。
これの原因は「過去の体験」だ。
でも、自信がない原因は、それではない。
その「過去の体験」によって引き起こされる
「失敗の連続」なんだ。

学校での休み時間。
友達はあちこちに散らばって楽しそうに話している。
しかし、自分だけが一人ぼっち。
とても寂しい。
そんな状況のときに、ふとこんな考えが浮かぶ。
「私もこのなかに入りたいな」
そして一瞬、話の輪へ入ろうとする。
ところが話しかけることができない。
昔のつらい体験の恐怖が甦ってきて。
その気持ちを押し殺し、我慢する。

ここでひとつの「失敗」が生まれたんだ。
「話しかけようとしたが、できなかった」
という失敗が。

そしてその経験を何十回何百回と繰り返すことにより、
「私は能力がないだめなやつなんだ」
「いつも失敗してばかり」
そんな思いが心に刻まれていく。
そしていつの間にか、自信が失われている。

・自信をつける三つの方法
その一 しょうがない
今どんなに勇気を出しても話しかけることが
できないのは、あなたのせいじゃない。
これまでのつらい経験が、そうさせているんだ。

逆に考えてみよう。
今あなたのそばにいる、明るい人。
彼らはこれまで人間関係でつらい思いをしていないから
あそこまでのびのびとしていられるんだ。

「話しかけられないのは仕方ないことなんだ」
「私がこうなったのは、自分のせいじゃない。
つらくて苦しいけれど、それが今の自分の実力なんだ。
私が悪いわけじゃない」
明日からはこう考えてみよう。
それだけで「自分を責める苦しみ」は少なくなる。

その二 成功日記
前回説明した「プラス日記」を続けよう。
小さな成功に目を向けることで、自信がわいてくる。

その三 自分との約束
自分で決めたことは、絶対に破らないようにしよう。
「明日から午前5時に起きる」みたいな
非現実的な高すぎる目標を作らないように。
いつも簡単に達成できることを目標にする。
「明日は目覚ましを5時に鳴らして、耐えられる眠気
かどうかを確かめる」という感じだ。

・信頼残高
7つの習慣ティーンズという本では、自信というものを
「信頼残高」という名前の銀行口座にたとえている。

自分にとっていいことをしたり、自信がつくことをしたら
その口座に「自信」が振り込まれる。
反対に自信をなくすことをすると口座から引き落とされる。
そしてその中身がマイナスになると、自信をなくす。

自信というのは、積み重ね。
少しずつ「貯金」を増やしていこう。

no.7「自己中心的に生きろ」
・自分の幸せを最優先
僕は自分のことを「自己中心的」な人間だと思っている。
でもそれは
「自分さえよければほかはどうなってもかまわない」
という意味ではない。
僕の場合、「自分の幸せを最優先に考える」という意味だ。
同じように見えるかもしれないけど、ちょっと違う。

僕のこの考え方は、人のため親切を
とても楽しいものに変える力がある。

・見返りを期待する
この「自己中心的」という言葉で僕のことを意地悪な
人間だと思うかもしれない。
でも違うよ。普通に人に対するやさしさはある。
ただ、その「やさしさ」の出所が
「自分のため」であるという点が異なる。

違いその一 長い目で考える
他人の手柄を自分のことのように上司に報告する人。
やるべき仕事をしないでさっさと帰ってしまう友人。
他人との約束を破る人間。
あなたの周りにいないかな?
彼らは「目先の利益」と引き換えに、同僚からの
信頼を犠牲にしているんだ。
よく観察してみよう。

彼らはその行為で自分の信頼を失う。
そして「軽蔑の目」「そっけない態度」「誰も助けてくれない」
などの結果を受け取る。
じわじわとその人の生活をつまらなく、つらいものに
していく。

長い目で見れば、小さな利益より「友人からの信頼」
のほうが大切だとわかるはずだ。
だから僕は、小さな利益を犠牲にして、
「信頼」をとる。

困ったときに助けてくれる。
信頼と尊敬の目で自分を見てくれる。
そういった形で、長い期間でその「親切」の
見返りを手に入れることができるんだ。

違いその二 違う見返りを求める

僕は以前、こう思っていた。
 落としたペンを拾ってあげる。
 転がってきたボールを、返してあげる。
そういったことをするのは、そうしないと
相手にいやな思いをさせるから。
手間もかからないし。
だから「ありがとう」といわれても、何も感じなかった。

でも僕が「信頼」のために親切をする、という考え方に
変えたときから、自分の内部に変化が生じ始めた。
感謝されたうれしさ。
友人の力になれたという喜び。
相手から頼りにされているという充実感。
そういったものを感じるようになったんだ。

それだけでも親切に対する十分な見返り。
僕はそう思い始める。
優しさを示すのが、当たり前になった。
義理で親切をしていた頃より、毎日が楽しくなった。

・利他=不純な心
「自分のことばかり考えてはいけません」
「ほかの人のためになることをしなさい」
こんなふうに教える人は心が貧しい人だ。

他人のために尽くすこと。それを
「自分の願望を抑えなくてはいけない」
と解釈している。
彼らにとってそれは我慢の行為でしかない。
しかし、この「自己中」を身につけた人には
それが喜びになる。
自然に自分のために体が動くようになる。

世間の義理で親切をする人に比べ、表情が生き生きとする。
細かい心配りもできる。
そして人に好かれ、人気者に。

だからまず、「自分への信頼」という見返りを得るために
親切をするようにしてみよう。
するとお互いに喜びを与え合うすばらしい人間関係を
作り上げることができるはずだから。

ホーム「あなたも内気・人見知り・対人恐怖症を克服できる!」
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送