内気・人見知り・対人恐怖症克服講座EX−1
対人恐怖症を治す
どうすれば克服できるのか
対人恐怖症を治す方法は、単純だ。
「人への恐怖を感じなくすること」
つまり、今感じている恐怖を減らすために、トラウマとなっている
過去の経験を変えることができれば、この苦しみから抜け出すことが
できる。詳しくはこのサイトの1ページ目から順番に読んでいって
欲しい。
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対人恐怖。他人への過剰な恐れ。僕がそれで苦しんでいた頃、
僕は対人恐怖という言葉さえ知らなかった。
もちろん自分が対人恐怖症の一種である自覚もない。
ただ自分のことを「内気で、引っ込み思案な性格」と
思っていた。
ところで
対人恐怖症って何だろう。
辞書を引くと
対人「他人に対して」
恐怖症「理由もないと知りながら、ちょっとしたことに
恐怖・不安を感ずる状態」
と書いてある。
今思うと、僕は「対人恐怖症」だったと言える。
怖くて人とうまく話せない。
自分の意見をはっきり口にできない。
自分から友達を作れない。
不思議なほど自分が対人恐怖症だということに気づかなかった。
なぜ、起こるのか
なぜ、対人恐怖症が起こるのか。
これは「高所恐怖症」を例にとるとわかりやすい。
彼らは昔、高いところから落ちて死ぬほどの恐怖を味わった。
その結果、高いところに来ると「また落ちるのではないか」
という不安がよぎり、さらにそのときの恐怖が無意識のうちに
思い出される。
対人恐怖症はこれと同じ。
昔、見知らぬ人からひどい扱いを受けた。
近くの人をいつも恐れていた。
逆らうと、ひどい体罰を受ける。
こういった昔の経験が、対人恐怖症を作り出す。
何も覚えていない。という人は
その記憶が抑圧されているか。
自分が「苦しんでいる」自覚がないか。
いずれにせよ、対人恐怖症には原因はあるはずだ。
それを無視する人が、あまりにも多い。
このまえ対人恐怖症の掲示板を見たら
「対人恐怖症とかそういう社会の傷をなめあうような
集まりを見ていると腹立たしい。」
そんなことが書いてあった。
これは論外である。
その人の偏見だ。
物心ついたときから対人恐怖症を持つ人にとっては
それが当たり前の状態。
だから、克服しようと思っても、難しい。
なぜなら、目指す目標が実感できないから。
医者やカウンセリングに行けば対人恐怖症は克服できるかもしれない。
しかしそこに行く人は対人恐怖の人のうち、ほんのわずか。
だって、人と出会うのが怖いんだもん。
また勇気を持って挑戦すれば、治るかもしれない。
しかし、それは単純だが非常に効率が悪い。
内気・人見知り・対人恐怖症克服講座1
「勇気を出して話しかける」
必要なんてない
人は人との関係の中でしか生きられない。
対人恐怖症のため人とのかかわりを閉ざしている人もそうだ。
着るもの。食べるもの。住むところ。
そういったものは全て、人が作ったものだ。
だから、対人恐怖症の人はとても苦しい。
飴とムチが同時に来るようなものだから。
対人恐怖で人と話すのをやめる。しかしもうひとつの部分では
対人恐怖を克服し、人と話せたらどんなにいいだろうと願う。
対人恐怖症は、板ばさみの状況だ。
では、対人恐怖症にいいことはないのだろうか。
僕は、対人恐怖症を克服した経験から「ある」と断言できる。
それは、対人恐怖を克服したときに起きる。
ほかの人が当たり前であると感じる「人の絆」にいつも
感謝の気持ちを持てる。
対人恐怖によって強制的に「人の絆のすばらしさ」を
何年、いや人によって何十年も実感させられてきた。
その分、対人恐怖だった人は「今」を楽しむことができる。
過ぎ去った思い出は、記憶でしかない。
今を生きることができれば、対人恐怖によって苦しい思いを
した人でも、それを逆に利用することができる。
そして「私は対人恐怖症になって本当によかった」と
思えるときがくるだろう。
僕は今心からそう思っている。
対人恐怖症を楽しむことはできるのだろうか?
「対人恐怖を楽しむ、ふざけるんじゃない」と思うだろう。
「私は対人恐怖でこんなに苦しいのに、どうやって楽しめって言うんだ」
そのとおりである。
対人恐怖を楽しむなんて不可能だ。
普通のやり方では。
でも、方法はある。
それは「対人恐怖症の利点に目を向けること」
対人恐怖の人は、他人との付き合いに時間がとられることはない。
べたべたしたわずらわしい付き合いもない。
その特性を生かそう。
対人恐怖なんだから。それを利用しない手はない。
心理学にこんな実験がある。
「私は・・・でないから幸せだ」
という文章をたくさん書かせる。
そうすると、そのグループの人生への満足度があがるという。
それと同じことをやってみよう。
「対人恐怖症のおかげで自分の時間が取れる」
「対人恐怖症のおかげで今日も早く帰れる」
こじつけでいい。対人恐怖のよさを
無理やり作り上げよう。
そしてそれを口に出す癖をつける。
そうすると、奇跡が起こる。
対人恐怖であることが、少しずつつらくなくなってくる
自分の対人恐怖症が、「すばらしいもの」と
思えるようになる。
いま対人恐怖症で苦しむ人には、信じられないと思う
でも、やってみると必ず変わる。対人恐怖の「苦しさ」が。
「一番つらいのはその状況ではなく、絶望だ」
対人恐怖の「怖さ」は変わらない。これだけでは。
でも「幸せ」が変わる。
心の持ちようで対人恐怖症の感じ方が変わる。
僕が自分に言い聞かせてきた言葉。
「1を10にはできないかもしれない。でも
工夫すれば4や5にできるはずだ」
僕は対人恐怖症を克服しているまさにそのとき、
この言葉を繰り返した。
対人恐怖。人を恐れること。
「そんなに怖がらなくていいよ」と何人から言われたことか。
自分が「対人恐怖症」という「社会不安障害」にあるということを
全く自覚しなかった日々。
この対人恐怖を単なる「自分の性格」と思っていたころ。
そのころが一番苦しかった。
「対人恐怖症で一番困っている人ほど、自分の症状に自覚がない」
僕が身を持って感じた結論。
対人恐怖症。社会の少数派。
世界で自分だけこんなに苦しいのではないか。
そう思うことが多かった。
自分がなぜ対人恐怖症なんだという「問い」さえもしなかったころ。
「無知こそが苦しみの原因だ」
釈迦もすばらしいことを言ったものだ。
自力で対人恐怖症から這い上がった僕だからこそ、その言葉の
重みを実感できる。
対人恐怖は、「遺伝」でもある。
とはいっても対人恐怖症の遺伝子があるわけではない。
親から「恐怖の種」を受け継いだんだ。
親から繰り返しの「叱責」を受ける。
すると、「人間はみんな私のことを嫌うんだ」
そんな「種」が幼心に植え込まれる。
それが芽を出し、対人恐怖症の木ができる。
対人恐怖が「発病」する時期は、人さまざま。
ある日のスピーチがきっかけで対人恐怖症になりました。
物心ついたときから人と話すのが苦手でした。
本当にさまざまな対人恐怖症の始まり。
でもその根元はひとつ。
「恐怖」「心配」「不安」「緊張」「臆病」・・・
こころのなかに、あるものだ。
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